Red Hot Chili Peppersがバラードの名曲を生み出すようになったきっかけとは!?

7月23日・24日にFUJI ROCK FESTIVAL’ 16が開催された。今年はFUJI ROCK20周年ということもあり、大成功の内に終了した。そのFUJI ROCK’ 16に参加した「Red Hot Chili Peppers」に密着したいと思う。

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Red Hot Chili Peppersはヴォーカルのアンソニーとベースのフリーを中心に1983年に結成された。その後、ヒット曲を連発し、今や世界的なロック・シーンの最強バンドとして君臨している。

 

Red Hot Chili Peppersはファンクとハードロック、パンク・ロックを融合させた、いわゆるラップロック、ファンクロックのバンドとして有名である。バンド名からして、ピリ辛いファンキーな印象を受けるだろう。




しかし、Red Hot Chili Peppersの魅力は、悲哀を漂わせるバラードの名曲にも包まれている。ファンキーなバンドがこのようなバラードを歌うのは、少し違和感があるかもしれないが、Red Hot Chili Peppersがそういう曲を披露するようになったのには少し逸話がある。

 

話は1991年にさかのぼる。Red Hot Chili Peppersは通算5枚目のアルバムである『Blood Sugar Sex Magik』のレコーディングを行っていた。

 

その先行シングルとして、1991年9月4日、『Give It Away』をリリースした。この曲は、全編を通じてラップ調のロック・ナンバーで、いかにもRed Hot Chili Peppersらしい名曲で、大ヒットした。

 

ここからが逸話である。Red Hot Chili Peppersはこの曲のヒットにより、「お前たちはファンキーな曲しか書けない」と批判されたのだ。それに怒ったメンバーは肝玉のバラードである『Under The Bridge』をシングル・カットすることを決意する。

 

元々この曲は、ヴォーカルのアンソニーが薬物に手を染めていた頃のことを歌った、いかにも悲壮感たっぷりの曲だった(「Under The Bridge=橋の下」とはアンソニーが薬物を購入していた場所である)。メンバーは元々、この曲がヒットするとは思っていなかった。

 

しかし、上述のような経緯があり、急遽、シングル・カットすると、「Give It Away」に次ぐヒット曲になったのである。

 

こうして、「バラードも書けるファンクバンド」の名を欲しいままにしたRed Hot Chili Peppersは「My Friends」や「Scar Tissue」などのバラード曲を生み出すようになったのである。
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