ジョージ・ハリスンが追い求めたユートピアとは?



寡黙な人ジョージ・ハリスン

ジョージ・ハリスンの最大の不幸は、どんなに派手な行動に出ても存在自体が他のビートルズのメンバーよりもはるかに地味で、その全体像が捉えにくいところかもしれません。

前衛芸術家だったり、平和運動家だったりする上に、甘くて優しい曲を書いて、主夫に徹し、引退しても世界に向けて精神的なロックの波動を送り続けることが出来たジョン・レノン。

ビートルズ後も常にポップ・ミュージック界最高のスターとして第1線で活躍し続けるポール・マッカートニー。

元ビートルズを素直に演じてしまえるリンゴ・スターにさえ、存在自体ではかなわないほど、輪郭のぼやけた、わかりにくい個性が、ジョージ・ハリスン。

一般的には、物静かで思慮深い人のイメージが定着しているジョージだが、ロック界にインドの音楽や宗教を持ち込んだ張本人であったり、まだ現代音楽の分野にあった電子音楽にいちはやく取り組んだり、と、後期のビートルズにあっては何かとお騒がせでした。

70年代のジョージは、ソロになって最初に成功し、ロック界初の大規模なベネフィット・コンサートの首謀者、ダークホース・レコードの創設者としても名を馳せることになります。

パティ・ボイド(最初の夫人)を間に挟んだエリック・クラプトンとの友情という下世話な話題まで提供してくれた。身近では常にあわただしく、少しも物静かではなかったようです。

それでも、終始おとなしいイメージを持ち続けているのは、不思議なくらいです。おそらくそれは、彼の音楽性や歌声にも由来してるようです。その寡黙な存在がミステリアスなジョージに拍車をかけてました。

 

ジョージ・ハリスンの宗教観

ジョージ・ハリスンは特にインドの尊師マハリシ・マヘシ・ヨギへの傾倒と、後にアップル・レコードからレコードまで出すことになるインターナショナル・ソサエティ・フォー・クリシュナ・コンシャスネス(ISKCON)とその創設者のスリフ・プラブーパダとの関係です。


ビートルズと尊師ヨギ

プラブーパダを崇め、莫大な金品と不動産をISKCONに寄付しながらも、信者にはならず、プラブーパダが77年に亡くなるまで、友人関係でした。同時にサイ・ババやスリ・マハラジといった尊師とも深く交流していたようです。

追い求め続けたジョージ・ハリスン

70年代前半のジョージ・ハリスンは、ソロ・アルバム制作以外にも精力的な活動をしています。まず、71年には、有名はバングラデシュ救済コンサートを開催。ロックによるチャリティ・コンサートを初めて大規模に行った点でも、このコンサートは高く評価されてもいいと思います。このコンサートの様子は、3枚組のLPと映画「バングラデシュのコンサート」に収められています。

74年には、ダーク・ホース・レーベルを設立し、ハリスンがシタールの師として仰いでいたラヴィ・シャンカール、デュエット・グループのスプリンターのアルバム等をリリース。同年の暮れから、27都市50回にわたるアメリカ・ツアーを実行っしました。ホーン・セッションや、リズム・セッションまで豪華に揃えての大規模なものでしたが、当時の音楽雑誌での評価はいまひとつだったようです。

70年代中盤辺りから、ジョージ・ハリスンにとって最も苦難な時期となっていきます。プライベートでも妻パティとの離婚、「マイ・スィート・ロード」の盗作裁判での敗訴などが続き、あれほどあった信仰熱もしだいに醒めていくのも、こういった現実があったからだろう。次第に失望の念を持ち始めていたともされています。

81年にリリースされた『想いははてなくー母なるイングランド』では、東洋的世界への失望の反動からか、イギリスへの回帰が見られます。最後に収められている「世界を救え」では、森林乱伐、クジラ捕獲、核エネルギーなどに対する批判の込められたこの曲は、エコロジー的なものへの、ジョージの強い関心を感じます。

また、ジョージ・ハリスンが求めたユートピア世界は、インドのヒンドゥ教世界だけではなかったようです。たっとえば、82年に発表された『ゴーン・トロッポ』では、”トロピカル”的な楽園のイメージが、東洋世界に代わるユートピアとして表現されています。

 

ジョージ・ハリスンが求めたユートピアは、それぞれの時代において人々が求めたユートピアと一致していた点は、ジョージは、流行に敏感に反応して、「流行」という言葉では、表現しにくいですが、時代の雰囲気を敏感に反映していたのは、間違いない様です。

このような面があるからこそ、ジョージ・ハリスンを身近に感じるられるのではないでしょうか?たしかにポール・マッカートニーの作曲能力は傑出しています。傑出しすぎていてポールを1人の等身大のミュージシャンとしてとらえにくくなっていますし、ジョンも多くの若者にとってカリスマな存在で、またあのような死を遂げる事によって永遠の神話的に語り継がれることになりました。

それでも、ジョージ・ハリスンという人物には、普通にミュージシャンをみるようなまなざしで接することが出来ます。誰もが憧れるのと同じようにユートピアを夢見ているミュージシャン。ジョージのことを、ビートルズのなかで最も親しみやすいと評価するヒトも多いのもうなずけます。

 

11月29日は、ジョージ・ハリスン命日でした。

2時間ものですが、時間あるときにでも、ゆっくり観てほしいです。

Eric Clapton, Jeff Lynne, Joe Brown, Tom Petty,  Ringo Starr, Paul McCartney


1人白いパジャマを着た様な青年は、ジョージの息子 ダーニ・ハリスン当時24歳かな?
しかし、若かりしジョージ にそっくりですね!?

(出典:レコード・コレクターズ)

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