ビデオゲームメーカーの老舗・ATARI!その成功と没落!

インターネットを愛用する若者の間で、現在話題になっているビデオゲームメーカーがある。それはATARI」のことだ1972年に創業され、ビデオゲーム業界の開拓者として歩んできた。今日はそのATARIの成功と没落についてまとめたい。

【ATARIとは!?】

ATARIは、アーケードゲームや家庭用ゲームなどを作っていた会社だ。「アステロイド」、「ブロックくずし」、「パックマン」そして「スペースインベーダー」と言えば、誰もが耳にしたことのあるゲームだろう。ビデオゲーム業界の開拓者として人気を博した。

ATARIの象徴と言えば、社紋である「アタリマーク」だ。これはAと富士山をデフォルメしたもので、フジマークという異名も持つ。このアタリマークはスマートでクールなデザインとして親しまれ、現在でも使用されている。




ATARIという社名は、社長であるブッシュネル氏が囲碁用語「アタリ」から発案したと言われている。「センテ」、「ハネ」、「アタリ」の中から、ブッシュネル氏が直々に選んだ。

 

1974年に40人目の社員として「スティーヴ・ジョブズ」が技術者として雇われていたことでも有名。いくつかの伝説のゲームソフト(ブロック崩し等)長年の間「ATARI」はゲーム業界を引導し、ゲーム業界のトップに立っていた。

 

伝説のゲーム機「ATARI2600」とゲームソフト

【アタリショック】

しかし、そんなATARIにも衰退の時代が訪れる1982年の段階では、家庭用ゲームの売り上げはおよそ32億ドルだったのに対して1985年にはおよそ1億ドルの売り上げにとどまった。北米の家庭用ゲーム市場は崩壊の危機に見舞われ、いくつかの大手メーカーが破産に追い込まれる結果となった

ATARIもこの洗礼を受け、ゲーム業界で最大の規模を誇っていたATARIは崩壊した。

これは「Video game crash of 1983」と呼ばれ、日本では「アタリショック」と呼ばれれている。

アタリショックにより、ゲーム業界は日の目を見ることなく、長い年月が過ぎた。ゲーム業界の復興は、それは1985年の任天堂による再生まで待たなければならなかった。ゲーム業界が衰退するたびに、「アタリショックの再来」と呼ばれるようになりATARIがゲーム業界にもたらした影響とインパクト、そしてショックはとてつもなく大きかったようだ。

ATARIが天下を取ったのは、ほんの5年ほどの間だったが、その後のテレビゲーム業界にもたらした福音の影響は大きい。現在はインフォグラムの傘下に下ったが、テレビゲーム業界、いや若者文化そのものを開拓してきたATARIである21世紀に入った現代にも、新たな風を巻き起こしてくれることを期待する。

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