ジャニス・ジョプリンの映画「Janis little girl blue」ありのままのジャニス

映画「Janis Little girl blue / ジャニス・リトル・ガール・ブルー」

若くしてこの世を去ったジャニス・ジョプリンの映画「Janis Little girl blue / ジャニス・リトル・ガール・ブルー」を観てきました。貴重なフィルムや、直筆の手紙なども出てきて、ありのままのジャニスを見ることが出来る映画です。

 

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ジャニスは、1943年テキサス州に生まれ、大学中退するまでテキサスで過ごします。ちょうど高校生から大学生の頃に公民権運動が盛んになり、ジャニスは、「差別なんて馬鹿げている」というリベラルな姿勢を貫いていました。当時のジャニスの服装が、メガネに白ブラウス、黒のパンツスーツととてものちのロックスターとは想像できないインテリな恰好でした。しかし差別意識の強いテキサスだったので、、。高校時代は、後に「ノーコメント」と言うぐらいひどいいじめにあっていた様で、孤独を味わっている。

テキサス大学オースティン校に進学するも、ドロップアウトする。この頃には、かなりブルース、フォーク、カントリーとのめり込んでいたようです。


大学時代のギターを弾くジャニス・ジョプリン (出典:Texas Hill Country)

 

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ヘロイン、覚せい剤、アルコール

サンフランシスコに移住してドラッグ、アルコール、覚せい剤、ヘロインの常習が始まる。 彼女が好きだったアルコールが、「サザン・カンフォート」。 (ソーダ割にして飲むとどこかオロナミンCの様な感じがして、飲みやすくて美味しいお酒です。)このころから、家族にも頻繁に手紙を書いている。

映画の中では、当時を知る、グレイトフル・デッドのボブ・ウェア等からも当時のジャニスの赤裸々な話とかもあり、とてもオモシロくて内容の濃い映画でした。ライブ映像も含みますし、当時のカルチャー、価値観などもちょっとドキュメンタリーなテイストでもあります。

 

ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー時代は、当初レコードはさっぱり売れなかったが、モントレー・ポップ・フェスティバルの演奏で人気が出始める。1968年の「CHEAP THRILL」でも彼女らしい荒々しくも迫力のある歌声が聴けます。ビッグ・ブラザーを離れたジャニスは、自らコズミック・ブルース・バンドを結成するも、1969年のウッドストック・フェスティバルに出演後、このバンドは解散となります。

ロックの名盤:ジャニスの死後にリリースされた「PEARL」

その後の、フル・ティルト・ブギ―・バンドでのレコーディングでハリウッドに滞在していたホテルで床に倒れ死亡しているのが見つかった。高純度のヘロインを摂取したための、オーバードーズでした。遺体か火葬され、太平洋に散骨されました。

演奏された音源をもとに、ジャニスの死後「PEARL」が発表された。

刹那な人生で愛情にまっすぐな生き方だった、愛を祈り歌い叫ぶ歌声は、永遠に残りますね。

「CHEAP THRILL」「PEARL」ともにロックの名盤として数えられている。

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