ザ・フー The Who は、本来モッズではなかった。

 

「The Who ザ・フーが、本来モッズではない。」と言うと、「そんなはずはない!」と言う声が多く聞こえて来そうだ。笑

The Whoは、半世紀経った今聴いても古さを全く感じない。他のロック・バンドとは違う特徴とイメージを持つロック・バンドのひとつだ。そのイメージのひとつにやはり「モッズ」がある。そもそも、ザ・フーがモッズの代名詞的存在となったきっかけとは!?何だったのだろうか。

 

The Whoザ・フーも、本格的なデビューまでは、前身となる「ザ・デトゥアーズ」のバンドから「ザ・ハイ・ナンバーズ」、メンバー交代もあり、64年にキース・ムーン(当時17歳)が入って、ようやく「ザ・フー」にバンド名を戻して活動を始めた。この頃マネージメントをしていたのがランバート&スタンプ。そのスタンプの友人ジギー・ジャクソンがマーキー・クラブを再開したことをきっかけに、毎週火曜のレギュラー・バンドとしてライブ活動を開始。この頃にタウンゼントの腕を回しながら弾く奏法が生まれた。また、キースもドラム・セットを崩し倒したりで、過激なパフォーマンスが評判を集めて行った。

 

「I Can’t Explain」、「My Generation」ザ・フーのこのシングルは、若者の感情を歌に託したバンドとして人気を押し上げていった。タウンゼントは、こうしたジェネレーション・ソングは、「特になにかを描こうとしたものではなく、感情をぶつけただけだ。世の中に不満を言いたいが言えない若者のことを描いただけ、、。」と語っている。そうしたモヤモヤとした感情がストレートに表れたザ・フーのロックは、モッズ族だけに限らず、多くの若者の支持を得る事になった。ランバート&スタンプは、50ポンドもの衣装代を用意し、モッズ・ファッションのリーダーとして宣伝して行くことを決め。最初のモッズのイメージを作り出したのは、マネージャーたちだったのだ。

この67年のライヴ映像では、モッズとはほど遠いサイケな印象だ。↓

 




ピート・タウンゼントは、「スモール・フェイシスは、確かにモッズの中から生まれたが、ザ・フーは、元々モッズじゃなく意識的にモッズになった」と発言している。当時盛り上がりつつあったモッズ・ブームを利用する事にしたのだ。モッズという言葉も曖昧な部分も多く、いま写真で振り返るファッションやチューン・アップされたスクーターなど、映画『さらば青春の光』でのイメージが代表的だが、ザ・フーのデビュー前の時代を読むとファッションやバイクに夢中になったり等とは無縁だったことがわかる。

 

モッズ族
 

ただ、ブルースやR&B、モータウンなどを愛聴していたモッズと多くの共通項はあったのは、間違いない。

当時のイギリス社会では、状況や出自によるその社会的矛盾、多くの若年層や有色人種などの社会的弱者の不満が存在し、ロッカーズとモッズは、激しく対立したが、社会的病根の現れとしては同質だったからだろう。


ロッカーズ





所々でぶつかりあう、モッズとロッカーズ
 

その直後に起こるパンク・ムーヴメントに対して、多くのビッグ・アーテスト達が否定的にとらえたり、無視しているなか、ピートは、ザ・フーの挑戦を受けるものはいなかったが、今はパンクがいる。とまで言っている。おそらく、次世代(ネクスト・ジェネレーション)とはいえ同質の社会に対するフラストレーションとアンチ、懐疑の要素を多分に持つもの同士だったのかもしれない。

 

実際、ザ・フーは”ゴッドファーザー・オブ・パンク”のひとつのもあげられている。ニューヨーク・パンクのリチャード・ヘルの代表曲「ブランク・ジェネレーション」は、もちろんあの「マイ・ジェネレーション」なくしてはそのパワーは半減するし、セックス・ピストルズの初期のステージでの「サブスティテュート」も重要だ。

イギリス生まれのモッズとパンクと極端に違って見えるムーヴメントの中で、ザ・フーがどう支持されていったのかが、少し見えてくると、また The Who の存在の大きさを知るとまたザ・フーが聴きたくなる。

 


THE WHO MEMBER TEE

THE WHO MUG CUP

 



LINEで送る
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です